久しぶりのブログですね。

先週も書きましたが、今、就活の真っ最中。

自問自答がヘタっぴで失敗した話

履歴書と職務経歴書を書いていたのでした。

 

最初は履歴書を書くのがすごくおっくうで。。。

必要というからしょうがなく書いているだけ。

本当は履歴書なんて書きたくない。

私が書きたいのはブログだ。

と。

履歴書を書かなきゃな自分とブログを書きたい自分が対立していたのでした。

 

私がブログを書く行為は、ミッションステートメントと結びついているから強い。

この強大なボスに履歴書が立ち向かおうとしてたのです。

 

こういう場合、解決策は2通りあります。

1つは、履歴書を強化してボスと正面から殴り合う方法。

履歴書を書く行為をもっと大きな目的に結びつけるかして、ブログを書きたいという想いを一時的に屈服させる。

今回私はこの方法は採りませんでした。

 

もう1つは、ボスと対話する方法。

まずはボスの存在意義を認めてその働きに感謝する。

それから履歴書の大切さを伝えて、ボスに一旦休んでもらう。

 

なんたってミッションステートメントと結びついてるのです。

ブログでみんなを勇気づけたいのです。

ブログを書きたい自分のおかげで、ブログが書けているのです。

みんなに言葉を伝えることができているのです。

まずはその事実を認めて、ボスにそのことを感謝しました。

 

履歴書を書かないと次の職が決まらないわけで。

履歴書作成のためにブログを書けないのは不本意でも、当面生きていくには必要な行為なわけで。

どうか今は協力してほしい。

 

そうやってボスに伝えたら、ビックリするくらい協力的になったのでした。

履歴書を書いている間も優しく見守ってくれているような気がしました。

 

ボスと履歴書が殴り合っても、最終的には履歴書は完成したと思います。

でも、対話したからこそ、気分良く履歴書が書けたのだと感じます。

気分が良かったからこそ生まれたフレーズもきっとあったでしょう。

 

やりたくない自分とやらなきゃな自分がいるとき、

対話という方法があることも念頭に入れておきたいものです。

 

ちなみに

自分との対話については、瞑想にも通ずるところがあると思います。

対話というスタンスで臨めば、瞑想中の雑念処理ももっといい感じになる予感がします。

瞑想について考えてみた(そうだ、雑念と対話してみよう)