最近宗教にハマってまして(という誤解されやすいショッキングな表現で浅ましくもあなたの注意を引いてみる)。
私は特定の宗教を信仰してはいませんが、宗教の教えって参考になることも多いんですよね。
昨日出会った言葉が個人的にすごく衝撃的だったので、今日はそのことについて書きます。
キリスト教の「平和を求める祈り」の話です。
ちょっと全文書いてみます。
「平和を求める祈り」
わたしたちをあなたの平和の道具としてお使いください。
憎しみのあるところに愛を、
いさかいのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を
疑惑のあるところに信仰を、
誤っているところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
闇に光を、悲しみのあるところに喜びを、
もたらすものとしてください。
慰められるよりは慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。
わたしたちは与えるから受け、
ゆるすからゆるされ、
自分を捨てて死に、永遠のいのちをいただくのですから。
これを昨日初めて読んだのですが、今後の人生が変わるくらい衝撃的を受けました。
泣きました。
比喩じゃなくて、本当に涙が出ました。
とういのも、私の中ですごく印象に残っている事件がありまして。
最近裁判が始まって、またニュースになりましたね。
こんな事件でした。
6日午後5時15分ごろ、東京都新宿区霞ケ丘町の明治神宮外苑で開催されていたイベントで、展示物が燃える火災があった。
主催者側が間もなく消し止めたが、来場者の5歳男児が全身にやけどを負い、搬送先の病院で死亡が確認された。
男児の父親ら男性2人もけがをしており、警視庁四谷署が詳しい状況を調べている。
四谷署などによると、燃えたのは屋外に展示されていた木製のジャングルジム。
下に敷かれたおがくずが、近くにあった複数のライトの熱で発火した可能性がある。
引用元: 神宮外苑のイベントで火災 写真特集
私にも同い年くらいの子どもがいます。
ジャングルジムも大好きで、とても他人事とは思えなくて。
私が事件の当事者だったらと考えると、胸が苦しくなります。
子どもが助けを求める声。それがどんどん弱くなっていく。時間がない。
助けに入りたいけど、私は火の中に飛び込めるだろうか、って昔からずっと考えてました。
「絶望のあるところに希望を」
冒頭の平和を求める祈りの一節ですが、
熱い、苦しい、助けて
そうやって火の中で絶望している子どもを私が抱きしめられたら。。。
子どもはすごく安心すると思うのです。
そのホッとした気持ちに思いをはせた時、涙があふれてきたのです。
私が火の中に飛び込んだところで、結果的には死ぬのかもしれません、子どもも私も。
でも、一人で絶望の中で死ぬよりは、親に抱かれながら死なせてやりたい。そう強く思いました。
あぁ、書いててまた涙が出てきた。。。
私を道具として、神は何をしたいのか。
この視点はすごく大事な気がするから、今後も考え続けていきたいです。