今日は刺激と反応の間の話。
刺激と反応の間のスペースには広さがあるんじゃないかと思ってます。
自分が負っている責任の度合いでこのスペースの広さが変わるの。
子どもがご飯を食べない。イライラ
部下が仕事で失敗した。イライラ
前者は子どもの発育について、後者は仕事の成果について、自分が最終責任を負っていると思う。
だから、刺激と反応の間のスペースが狭くなる。イライラしやすい。
その逆は無責任。
自分が責任を負っていないと思えば、刺激と反応の間は広い。
というか、無責任な人は刺激という概念すらないんじゃないか?
無責任な人は何が起こってもイライラしないはず。
うちの子どもがアトピーでさ。
生まれて間もないころからずっと夫婦で肌荒れと格闘してきた。
子どもがかくとイライラする。
これは、肌荒れを改善する最終責任が親にあると思ってるから。
でも、このイライラ具合には夫婦で格差があって。
嫁はすごくイライラするけど、私はそこまでじゃない。
もちろん私は、刺激と反応の間を意識して、反応的にならないようにしてる。
でも、そもそも、肌荒れについて負っている責任感が夫婦で違うのだと思う。
実際、肌荒れがひどくなったら病院に連れて行くのは嫁だし、
子どもがママっ子というのもあって、肌荒れの薬を塗るのも嫁。
今のところ、子どもがかくとしわ寄せがいくのが嫁なんだ。私じゃない。
責任感について自問してみる。
私は子どものアトピーについて無責任になっていないか。
刺激と反応の間を意識する以前に、刺激を受けることを回避していないか。
嫁の心理ケアとか、子どもへのアプローチの仕方とか、もっと出来ることがあるんじゃないか。
このことは課題として、しばらく考えてみたいと思います。