コロナウイルスの影響で、今週から仕事が縮小になりました。

休みではなく、あくまで縮小。

というのも、インフラに片足突っ込んでいる仕事なので、どうしても完全休業にはならないようです。

毎日交代で人員を減らして稼働するとのこと。

 

そんなわけで、昨日は自宅待機日ということで、お休みの予定だったのですが、

9時半くらいに、「今日出られますか?」と電話がありました。

元々から

出勤予定者が体調不良等で休みになった場合、自宅待機者に出勤をお願いする

と決まっていたので、出勤したのですが

 

貸したな

 

と感じました。

 

そういえば、貸し借りをやたら気にして生きてきたような気がします。

いつも「貸した」って感覚が多くなるように生きてきたのです。

  • 社長から給与アップのオファーがあっても断ったり
  • 有給をあえて使わなかったり
  • 求められる以上の仕事をしてみたり

 

それと同時に、借りるのを極端に避けてきました。

借りるのが怖い。

借りを盾に取られて、やりたくないことをやらされるんじゃないかって思います。

だから、今回も

休みだったのに出勤かよ~

とうい不平不満じゃなくて、

よし、貸したぞ

って感覚が大きかったです。

貸しを作ることで心のバランスを取っているのです。

 

しかしながら、借りを極端に恐れるのもいかがなものかと。

大きなことを成し遂げようと思ったら、人の力を借りる場面がきっと出てきますから。

 

今の私にはミッションステートメントがあって、人生の中で最優先することが決まっています。

だから、借りを盾にしてやりたくないことを要求されても、今の私ならきっと気持ちよく断れるはず。

 

さらに今の私には、愛をベースとして他者と信頼関係を作ろうとする意志があります。

だから、借りを盾に不当な要求をしてくるような人間関係は作らないはず。

だから、必要な時は気持ちよく人の力を借りたい。

そう思います。